これ、日本海新聞の記事を読むとかなり無理があるなと感じる。
http://www.nnn.co.jp/news/080106/20080106003.html
お隣島根の石見銀山が劇的な逆転登録となったから、二匹目のドジョウを狙いたい気持はわからなくはない。「三徳山が信仰に加え、人と自然の共生を表す『信仰の山』の代表例であることをアピールしたい」なんて、あからさまに二匹目狙い。
だけど、鳥取の場合、三徳山が今のような形で残っているのは、そこに明確な自然との共生という意識があったからとは思えない。単に田舎だっただけ。地元の人が(一部除いて)大事にしていたとは、とても思えない。
遠足で行った以外いったこと無い鳥取人なんて山ほどいるんじゃない?現にジモティさんで投入堂知らないって人いたしなぁ。
もともと、自然との共生の意識が三徳山にだけあったと考える方が無理があるんだもん。日本全国に残る山岳信仰の山はどー説明するんだ?だからこそ、違いを明確にできなくて突出したアピールポイントが無くて焦っているというのが、ほんとのところだろうね。
ちなみに、山岳信仰とは「水源・狩猟の場・鉱山・森林・などの経済的条件、雄大な容姿の火山 などの地質的条件から山が重要視され」るのもである。ある意味、自然との共生は前提条件ってゆーか、生存の基本である。
んでね、
>>シルクロード文化の影響を受けたエンタシス様式の岡益石堂(鳥取市)
法隆寺が代表例じゃん。ついでにシルクロードって名称はその当時はないもん。これは19世紀にリヒトホーフェンが言い出したことだしね。
>>国内最古級の彩色仏教壁画を持つ上淀廃寺(米子市)など、東アジアの仏教の流れを示す
>>遺跡との関連性を例示している。
え〜っと、飛鳥はどうなるわけ?ってゆーか、教科書にも載っている通り基本的に東アジア仏教との交流はあるわけで、それが花開いたのが奈良の都なんですが?
そーゆー歴史のメインストリームを無視していわれても説得力はない。これが説得力を発揮するのは、歴史を知らない人たちに対してだけだ。ってことは、根本的な三徳山の歴史的価値や位置付けを考えてのことではないのだ。苦し紛れやね。
世界遺産は、人類が共有すべき普遍的な価値をもつものが基本的な定義で、そこには負の遺産も含まれるのだよ。負の遺産も引き継ぐという意志ももたなくてはならないだが、その覚悟はあるんだろうか?
どーも最近の地方自治体の世界遺産登録の動きは地道な地元の歴史の掘り起こしや見直しではなく、地方格差巻き返しの手段=観光の目玉がほしいだけにしか見えないんだよなぁ。
でさ、三徳山がほんとうに地元の歴史的遺産だと思っているわけ?なんてことを思うわけだ。
地元の貴重な歴史遺産と思ってるなら、世界遺産登録なんて関係ないだろう。
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